大判例

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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)9547号 判決 1982年2月16日

原告

堀キサ

外四一二名

右原告ら訴訟代理人

大塚一夫

被告

創価学会

右代表者

森田一哉

右訴訟代理人

松井一彦

中根宏

猪熊重二

桐ケ谷章

若旅一夫

主文

一  原告らの訴をいずれも却下する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判<省略>

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

被告は、昭和二七年九月八日、「日蓮大聖人の御建立遊ばされた一閻浮提総与の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき本尊流布並びに儀式行事を行ない王仏冥合の理想実現のための業務を行うこと等」を目的として設立された宗教法人であり、原告らは、いずれも、後記出捐当時、被告の会員であつたものである。

2(原告らの出捐)

原告らは、被告の会員が等しく利用できる会館や研修道場等の建設資金として、それぞれ別紙「請求金額一覧表」(以下「別表(一)」という。)記載の各年月日に、同表記載の各金員を、「特別財務」名下に出捐した(以下「本件出捐行為」という。)。

3(錯誤)

しかしながら、本件出捐行為には、次のとおり要素の錯誤があり無効である。

被告は、昭和四九年頃から昭和五二年頃にかけて、当時被告の会員であつた原告らに対し、被告が建設する各種建物の建設資金に充てるための金員を募集し、これを「特別財務」と呼んだ。

被告は、右「特別財務」名下に金員を募集するにあたり、各原告に対し、在家である被告も供養を受けられることを前提に、右「特別財務」は、仏に対する「供養」であり、この供養をすれば、多大の「功徳」が受けられ、「広宣流布」にも役立つ旨を、別紙「説明についての一覧表」(以下「別表(二)」という。)記載のとおり説明をなした。

そこで、原告らは、被告の右言を信じ、本件出捐行為をなしたところ、被告は、原告らが本件出捐行為をなした後である昭和五三年六月三〇日、従前の在家でも供養を受けられる旨の見解を覆し、供養を受けられるのは仏だけである旨を言明したため、原告らは、「特別財務」名下の被告に対する金員の交付は「供養」となり得ず、従つて、それによる「功徳」もないこと、また、そのように教義が正しく行なわれなければ「広宣流布」は成り立たないのであるから、右「特別財務」は「広宣流布」に役立つものでもないことを知つた。

従つて、原告らのした本件出捐行為は、明示された出捐の動機に重大な錯誤があり無効である。

4(結語)

よつて、原告らのなした各出捐行為は、法律上の原因を欠き、また、被告は悪意の受益者である。

従つて、各原告は、被告に対し、別表(一)の各原告についての請求金額欄記載の金員及びこれに対する各弁済期の後である昭和五四年一〇月三〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本案前の申立についての主張

本件には裁判所の審査権が及ばない。

原告らの主張する要素の錯誤の成否を判断するためには、客観的非宗教的に認識できる事実の存否のほかに、少なくとも(1)特別財務は仏教上の供養と言えるか、(2)特別財務に応ずることにより功徳を得られるか、(3)特別財務は広宣流布に役立つか、及び(4)右の三点が被告の一般会員が特別財務をなす動機にどの程度の重要性を有するかを判断しなければならない。そのためには被告における特別財務の宗教上の意義づけ、日蓮正宗における「供養」、「功徳」、「広宣流布」の教義上の意義及びそれらが同宗一般信者の信仰生活上において占める宗教的重要度並びに被告において日蓮正宗の教義が正しく行なわれているか否かを審理判断する必要がある。

しかしながら、右は教団内部において教義上ないし信仰上決定されるべき問題であり、本来裁判所の審判を受けるべき事柄ではなく(裁判所法三条)、また、裁判所がかかる宗教上の事項につき審理判断することは憲法二〇条にも違反する。

従つて、本件訴は却下されるべきである。

三  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2  同2(原告らの出捐)の事実については、別表(一)の被告の認否欄記載のとおり認否する。

3  同3(錯誤)の事実のうち、被告が、原告ら主張の頃、原告ら主張の如き特別財務を行なつたこと、右特別財務が広宣流布に役立つ旨説いたことは認めるが、その余の事実は否認し、本件出捐行為には要素の錯誤があり無効であるとの主張は争う。

4  同4の主張は争う。

5  (本案についての主張)

原告らの本件出捐行為には要素の錯誤はない。

(一) 被告は、昭和二六年から会運営の費用にあてるため、有志会員から定期的に募財し、これを「財務」と呼んでいたが、昭和四九年一一月から昭和五二年四月にかけて、当時の日蓮正宗第六六世法主日蓮上人の了解を得たうえで、会員の信仰活動、信心修行の拠点として広く会員の利用に供する会館や研修道場等を建設、整備する資金として有志会員から募財することとし、これを「特別財務」と呼んだ。

被告は、右特別財務の実施にあたり右のような目的と趣旨を明示してこれを行うとともに、募財した金員はすべて目的趣旨に明示された会館、研修道場等の建設整備に使用しており、この点において原告らには錯誤はない。

(二) また、原告らの宗教的動機についても日蓮正宗における教義解釈によれば、原告らに錯誤はない。

即ち、日蓮正宗において、(1)「供養」とは、日蓮正宗の定める「三宝」(日蓮正宗では、仏宝を宗祖日蓮、法宝を三大秘法の南無妙法蓮華経即ち戒壇の本尊、僧宝を血脈付法の第二祖日興としている。)に対し、身、口、意の三方法により真心や諸物をささげて「回向」(自己の修めた功徳を他に巡らして自他ともに仏果を成就しようと期すること)することを意味し、それは財の施与に限らないし、(2)「功徳」とは自行化他(自ら修行し、他を教化すること)の信心に励んだ結果、悩みが解決し願いが叶い幸福を感ずることであり、過去世の悪業を消滅して即身成仏することが最高の功徳であると教義上意義づけられ、(3)「広宣流布」とは日蓮大聖人の仏法を広く流布することを意味し、それに資する活動は功徳を得る一因となるとされている。

以上の教義解釈を前提とすれば、被告の行なつた特別財務は、日蓮大聖人の仏法の究極である戒壇の本尊を「広宣流布」するための活動の拠点となる建物を建立するためのものであり、従つてそれは「広宣流布」に役立ち、仏に対する信仰心の発露としての「供養」に通じるものであり、これをなしたものは自行化他の信心に励んだ者として「功徳」を得ることができるのであつて、原告らに錯誤はない。

四  被告の本案前の主張に対する反論

被告の本案前の申立についての主張は争う。

本件においては、「供養」、「功徳」、「広宣流布」の教義上の意義自体が争いとなつているものではないし、また、原告ら主張の要素の錯誤の成否の判断の前提事項としても、その教義上の意義の解釈は必要ではない。

即ち、被告は、特別財務を募るにあたり、在家でも供養を受けられることを前提に、特別財務は在家である被告に対する財の施与としての供養である旨を原告らに説明したものであるところ、その後、在家が供養を受け得ないことを被告自ら認めたのであつて、被告の説明に応じて特別財務に応じた原告らに錯誤が存することは、「供養」、「功徳」、「広宣流布」の教義上の解釈を俟つまでもなく認められる。

そして、右錯誤の重大性については、供養であるということが、金員支出の動機としてどの程度の重要性を有したかということにつき一般的な意味における判断をすれば足りることであり、特に宗教的な理解を経なければ判断できないという事柄ではない。

第三  証拠<省略>

理由

一被告は、本案前の申立として、本件訴は、裁判所の審査権に服すべき「法律上の争訟」に該当しないから、不適法として却下されるべきである旨主張するので、まず、この点について判断する。

二裁判所が審判の対象となし得るのは、裁判所法三条一項に定める「法律上の争訟」であるが、右の「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られるから、具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえないというべきである(最高裁昭和三九年(行ツ)第六一号同四一年二月八日第三小法廷判決・民集二〇巻二号一九六頁、同昭和五一年(オ)第七四九号同五六年四月七日第三小法廷判決・民集三五巻三号四四五頁参照)。

三これを本件について検討するに、原告らの本訴請求は、被告に対してなした本件出捐行為にはいずれも要素の錯誤があり無効であるとして、交付した金員の返還を求めるものであり、本件訴訟の経過に徴すると、当事者は本件訴訟において、右要素の錯誤の成否を主要な争点として主張し、かつ立証をなさんとしていることが認められるところ、右要素の錯誤の主張とは、①被告は、各原告に対して、在家である被告も「供養」を受けられることを前提に、本件特別財務は仏に対する供養であり、この供養をすれば、多大の「功徳」が受けられ、「広宣流布」にも役立つ旨の説明をなしたので、原告らは被告の右言を信じて、本件出捐行為をなしたのであるが、②その後の被告の言明から明らかなように、供養を受けられるのは仏に限られ、従つて特別財務名下の被告に対する金員の交付は「供養」となり得ず、これに基づく「功徳」もなく、また教義が正しく行なわれなければ「広宣流布」は成立たないのであるから、本件特別財務は「広宣流布」に役立つものではないこととなるから、原告らのなした本件出捐行為には明示された出捐の動機に重大な錯誤があり無効であるというにある。

そうすると、右主張にかかる要素の錯誤の有無を判断するには、第一に、特別財務名下になされた被告に対する金員の交付(本件出捐行為)が「供養」といえるかどうか、第二に本件出捐行為をすることにより「功徳」が得られるか否か、第三に本件出捐行為をすることが「広宣流布」に役立つか否か等日蓮正宗の教義について判断する必要に迫られるのであるが、これらはいずれも事柄の性質上法令を適用することによつては解決できない問題であるというべきである。

本件は錯誤による本件出捐行為の無効を原因とする不当利得返還請求権に基づく金銭給付請求訴訟であり、具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争という形式をとつているから、要素の錯誤の成否と密接に関連する右判示の宗教上の教義に関する判断は、請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、前判示のとおり本件訴訟の経過に徴すると本件訴訟における争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となつていることが認められることを考慮すると、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用により終局的に解決することができないものというべきであり、裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」に該当しない。

従つて、原告らの訴は不適法として却下すべきものである。

四結論

よつて、原告らの本件訴をいずれも不適法として却下し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(落合威 樋口直 杉江佳治)

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